黄色いカバン ~私が老人ホームを作った理由~

 長男も長女も健康優良児だったのに、次女は難産が原因で、脳性小児麻痺で生まれました。いくつになっても一人で食べることも飲むことも、歩くことも出来ません。幸か不幸か知能だけは冒されずに、9歳まで家族の支えの中で一生懸命に生きてくれました。

 ある時、母親にしか聞き取れない小さな声で「学校に行きたい。黄色いカバンと靴を買って。」と申しました。決して背負えないカバンと履けない靴を、私は複雑な気持ちで買いました。

 娘の夢を知ってからは、親としてじっとしてはいられません。福祉事務所に相談し、県内の療養施設を紹介され見学に行きました。もしかしたら機能回復が望めるかもしれないと、娘の希望通り入園させましたが、一心同体だった娘と離れたその夜は気もそぞろで胸騒ぎがしてなりません。翌朝早く、連れ戻そうと施設に駆け込みましたが「医師も看護婦もいる施設を信頼できないのですか」と会わせてもらえずに追い返されました。

 放心状態で家路をたどる私を追ってきたのは、驚いたことに「危篤」「死亡」という2通の電報でした。施設を怨んでも娘が生き返るわけでなし、それからは朝も夜も、あの娘にすまない、どうしたら償えるか、と悩み苦しむ日が続きました。

 そのうちにお年寄りでも身障者でも、ハンディを持つ方々に奉仕したいという気持ちがふつふつと湧いてきました。子不幸をした私を、それであの娘が許してくれるかどうか分かりませんが、自分の心の償いとして、私は家庭奉仕員の道を選んだのです。

 それから13年、在宅介護支援を続けてみて、これではいけない、施設を作ろうと思うに至りました。寝たきりになった老人が、飲めば出る、食べれば出ると家族に遠慮して、飢えも渇きも我慢して、ひとりじっとお迎えを待つ姿は人間同士として見るに忍びないものです。せめて、ウンチもオシッコも気兼ねしないで出来るように、安心して人生の最終期を過ごさせてあげたい、それには施設を作るしかないと、無力な私が決心したのです。


 産む苦しみは出産だけではありません。苦労の数々はご想像に任せます。計画の途中で、よき理解者であった主人は癌で先立ちました。しかし周りの方々に恵まれ助けられて、どうやら「東松山ホーム」は完成しました。

 

 昭和52年にスタートするとき、「お年寄りのためのお年寄りの施設」であることを心の旗印として掲げました。この仕事は私にとって娘の代わりに背負った黄色いカバンなのです。もし私の施設が少しでも社会のお役に立っているとしたら、あの娘が人間の哀しみを教えてくれた御陰であろうと、うれしくそして少し悲しく思っています。


(金子てる:「いきいき人生百科」1991年2月掲載)

花時計 ~小さな幸せ求めて~

いつも変わらぬ朝なのに なぜかしら
胸に何かがこみあげてくる
うれしいの ありがたいの どちら
きっとその両方
よくぞここまで歩いてこられた

人間は20歳を過ぎれば一人前
東松山ホームも20歳を迎えた
ここには一人前という証拠は何もない
でも花時計はいつも見ていてくれる
新風を全身に受けとめ歩いていかなくては

この大きな家で この大勢の人たちと
学び合い、語り合い、競い合い
そして立ち止まり、振り返りながら
これからも いつまでも 幸せ求めて
限りなく歩き続けていきたい


(金子てる:東松山ホーム20周年記念誌より)

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