社会福祉法人
任運社
(大分県)
任運社とは法人創設期(昭和52年)から人事交流を重ねてきました
任運社との交流は、法人設立以前に遡ります。
松仁会より2年早く開所した『特別養護老人ホーム 任運荘』では「ふつうの暮らし」を守るため、昭和50年当時下記6項目を掲げていました。 ※現在は8項目 社会福祉法人 任運社HP参照
①おむつの随時交換
②床ずれを作らない
③雑居部屋であっても間仕切りカーテン等でプライバシーを守ること
④施設にありがちな悪臭の消滅
⑤ぼけ老人の問題行動はお世話に問題があるから発生する
⑥お年寄りの自由意志を束縛しない (吉田嗣義著 ふつうの暮らし ふつうのホームより抜粋)
この考えに深く共鳴した創設者 金子てるは東松山ホームをスタートさせました。
金子てるは、東松山市のホームヘルパーとして働いていましたが、昭和40年代当時「身近な教科書や指導書にあたる書籍や教育、指導体制は皆無に近かった」と著書に記しています。
その頃 "ホームヘルパーの組織作り"のため参加した「欧州ホームヘルパー活動事情視察団」において、社会福祉法人 任運社 理事長 吉田嗣義先生と出会いました。
常に、お年寄りの立場に立って発言する吉田先生の見識の深さ、人間性に惹かれ「教えを請う交流」を重ねていきました。
その後、東松山ホームを作ることを決意するに至りますが(HP内 創設者回想参照)施設処遇においては「乾いたおむつ、下着がいつも体を包んでいる」「職員が本気であること」等、師と仰いだ吉田先生の影響を大きく受け、東松山ホームの理念の原型となっています。
当時の東松山ホーム
松仁会では、創立40周年を迎え、今後10年を見据えた「中長期計画」を策定
しました。
その中では "法人理念" をどう継承していくかが重要となります。
原点を再確認するための取組みとして、平成28年度より任運社での交流研修を
再開しました。
参加した職員が「初めてなのに、どこか親戚の家のように感じた」と語ったこと
は任運社・松仁会の "繋がり" を一言で表していると思います。
今後ますます変遷する時代の中で、「理念の継承」のため切磋琢磨していける関係でありたいと思います。
ホームヘルパー時代の金子てる(左)
松仁会 金子伸行理事長は、東松山ホームの開設に向けた準備として、吉田先生の自宅に住み込みで約1ヵ月間、施設運営を学ばせていただきました。
その後、吉田先生の息子さんである任運社 廣本賢郎 現理事長も、東松山ホームが開設し、施設が安定するまでの約半年以上、職員の一員として力を貸していただきました。
任運社 創設者 吉田嗣義先生
現在~今後に向けて
宿泊交流研修(任運荘・騰々舎にて)
東松山ホーム開設にあたり
吉田嗣義先生を師と仰いで・・・
社会福祉法人 任運社
時計台に刻まれた
「寮母は寶(たから)」の言葉
任運社の正面には時計台があり、そこに "寮母は寶(たから)"という言葉が刻まれています。
「老人ホームは家 一家の中心は母」
現在も介護職員を「寮母」と、あえて呼ぶ任運社の考えには介護に携わる職員への尊敬の念を感じます。